[HRPニュースファイル248]子どもの学力向上は学校(教員)の責務である~学力テスト実施・結果の公開義務付けを~

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文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が4月17日より、小学6年と中学3年を対象として、2年ぶりに実施されました。

今回は抽出された約3割の小中学校9709校(約73万2000人)の他に、1万6159校(約105万5000人)が自主参加。全小中学校における参加率は前回(10年)から7.7ポイント増の81.2%となっています。

公立校の参加率では100%が21県と前回から8県増えていますが、一方で愛知県(27.8%)と神奈川県(37.6%)のような参加率が著しく低い県も存在しています。(4/17 毎日「全国学力テスト:2年ぶり実施」⇒http://goo.gl/6TrkA

通知表が相対評価から絶対評価となり、自分の(子供の)学力がどれくらいなのかわからない生徒と保護者にとって、8割以上の学校が参加する全国学力テストは自分の実力を客観的に知ることができる、数少ないチャンスです。

全国一斉学力テストは2007年に再開されました。1度目は1961~64年にかけて実施されましたが、当時最大勢力であった日教組が組織的に反対。

その理由は、今と変わらず「学力に関する学校間の序列化反対」「児童のテスト点数によって過剰な学校間の競争反対」。全国で反対闘争が相次いだことにより、1965年に全員調査は中止され、その後40年以上かけてやっと再開されました。

09年までは原則全校参加でしたが、民主党政権に代わり、日教組の圧力に屈した結果、10年からは3割抽出方式になっています。

2009年の東京新聞のアンケートによれば、学力テスト結果公表について、保護者の7割が「賛成」、教育委員会の9割が「反対」という結果が出ています。

保護者は「学校選択の基本情報」として公開を欲しており、その理由として、「学力向上は学校(教員)の責務だから」と約6割が答えているにも関わらず、一方の教育委員会は、「学校間の序列化や過度な競争につながる」「公表しなくても指導方法の改善に役立てることができる」と主張しています。

民間においては、限られた予算の中で最高のパフォーマンスが求められます。一方で、特に公教育は予算は要求しますが、満足できる結果を生み出していません。

「費用対効果」を指摘されると、公教育に競争はなじまない、市場原理によって効率的で公平な結果をもたらすことはできないという言い訳をします。

しかし、これらは単なる教育委員会と学校・教師の怠惰であり、競争によって順位をつけられたくないという恐れ・嫉妬心に染まった平等主義であります。

日本国憲法第15条2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」、教育基本法第9条には「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と収容に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と定められています。

公務員(教員)は、国民の税金で生活している以上、その成果を国民に示さなければなりません。彼らの成果とは、生徒たちそのものであり、一番わかりやすいものが生徒の成績です。だからこそ、生徒の学力テストの成果の公開は、絶対に行われるべきものなのです。

イギリスでは、1960年から行き過ぎた社会主義思想が大流行し、伝統的価値観を否定する一方で、「児童中心主義教育」が流行。生徒の学力低下、自虐史観の蔓延、社会の腐敗を招きました。

マーガレット・サッチャーは「学校教育に対する最終責任は国がとる」という基本理念の下に、「競争原理導入による学力水準の向上」を柱とする新たな教育政策を打ち出し、約半年間にわたる教師たちのストライキにも負けることなく教育基本法を改正・制定し、イギリス教育を再建しました。

その下にあったのは、「国は子供たちが学ぶ内容をなおざりにするわけにはいかない。彼らは将来の公民なのであり、われわれは彼らに義務を負っている」という強い思いでした。

競争と公開の原理を教育に入れることで、子ども達だけでなく、教員の実力を明らかにし、教員と学校に一層の努力を促すことが、教育改革の第一歩となります。

そのため、学力テストの参加必須はもちろんのこと、市町村単位でのテスト結果の公表の義務化、そして学校ごとや教員(教室)ごとのテスト結果公表を提案します。

これにより、子ども達の学力向上の責任を果たせる学校・教員ほど、評価が上がるようになるでしょう。テスト結果公開は、子どもと保護者の学校選択の大きな材料ともなるのです。

教育において、機会の平等と選択の自由を保障し、彼らの幸福増進に努めなければなりません。日本も、教育改革に真剣に取り組まなければなりません。

未来の日本・世界を創るのは、今教育を受けている子供たちです。教育は「国家100年の計」であり、21世紀の国家ビジョンそのものなのです。(文責・湊侑子(みなと・ゆうこ))


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