昨日は普天間飛行場移設に向けての経緯について述べましたが、本日は、「なぜ、普天間飛行場移設が一歩も進まなかったのか」について考えてみたいと思います。
まず、第一は「民意を無視した日米合意」というマスコミによる批判です。
普天間飛行場の移設案の日米合意のプロセスにおいて「民意を無視した頭越しの合意」などという批判がマスコミ報道で繰り返されます。
「何をもって民意とするか」というと、マスコミが最大の拠り所とするのは市長選、知事選の選挙公約です。
私も選挙に出馬した際に、地元新聞社から普天間移設問題に関する選挙公約を問われましたが、「県内移設」と応えるだけでは済まず、必ず「現行案(V字型)」か、「浅瀬案」か、「沖合い案」かなどと聞いてきます。
「現実に脅威と化している対中国抑止を実効ならしめるために早期に移設を実現できればよい」というのが私の考えであるのですが、マスコミは、選挙で公約した時と工法が変わっただけで「民意に反している」と猛批判します。
住宅の上空飛行を避け、環境を破壊しないようにと配慮するため、時々刻々に最善の移設方法が検討されるのですから、マスコミに固められてしまった杓子定規な選挙公約通りにはいかなくなるのは当然です。
第二は、反対運動に対する政府の及び腰です。
1996年に日米両政府が普天間基地返還をうたったSACO合意後に、当時の大田知事は「沖縄の求めてきたのは単純返還だ。新たな代替基地の建設が付いてくるのは承諾できない」と合意以前に戻すような発言をし、地元の反対運動がそれを後押ししました。
その後、保守の稲嶺知事が当選しましたが、積極的に取り組むことがなく四年の任期が過ぎました。
計画が頓挫する危機感を感じた政府は稲嶺知事の再選後、2004年に辺野古沖のボーリング地質調査を始めますが、反対住民の座り込みなどで延期される中、同年8月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落しました。
更に反対派が勢い付いて、9月に作業を再開するも、反対派の阻止に合い、一本のボーリングも設置されませんでした。
これは工事にとりかかる前提の調査ですら、反対派の妨害で実行不可能な状況になることを示しています。わずか数名の反対でも安保政策を妨害できるということなのです。
第三は、国民を騙してでも集票を優先しようとする政治家の言動です。
多くの皆様は鳩山元首相の2009年発言「最低でも県外」発言を覚えておられることでしょう。この言葉が沖縄を大混乱させることになります。
私は2009年の衆議院選挙に名護市を含む沖縄第3選挙区で出馬し、誰もが真っ先に聞いてくる「普天間問題」について「一切ぶれずに現行案。辺野古移設」という返答一本、街頭でも有権者に訴え続けて参りました。
その熱い夏。鳩山氏は私と同じ選挙区の民主党候補者の応援演説で駆けつけた際、「民主党が政権を担ったならば最低でも県外」と公言したのです。
自民党への不信と民主党のバラマキ政策への期待。その中で「本気でアメリカ政府と戦ってくれる政治家の出現」と歓喜する県民はたくさんおられました。
私が有権者にご意見を聞いて回っていたときは、民主党への期待は最高潮でした。長年自民党支持者だったある方は、「今まで自民党を応援してきたがもうやめた。鳩山さんはかならず県外を実行してくれるだろう。それが実現したならば鳩山さんはノーベル平和賞をとる」と期待値がものすごく高いのです。
私は、「お言葉ですが、どの政党が政権を握ろうとも、必ず日米合意に戻らざるを得なくなると思います。でなければ、日米安保条約そのものの危機になるでしょう」とお応えしましたが、逆に説教をされてしまいました。(つづく)
(文責・沖縄県本部副代表 金城タツロー)
※金城タツロー氏の次回原稿「普天間基地移設問題~解決への道(3)」は、11月28日(月)に掲載させて頂きます。
[HRPニュースファイル099]普天間基地移設問題~解決への道(2)普天間移設が進まない理由
11月 22nd, 2011
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