現在、日本維新の会橋下徹代表の一挙手一投足がマスコミの関心の的となりテレビ各局が競って報道しています。
昼のワイドショー、夜のゴールデンタイムのニュース、NHKから民法に至るまで毎日報道されない日はありません。
記者会見等での橋下代表の発言がそのまま報道される事は、総選挙を間近に控え一政党の広告宣伝費に換算すれば天文学的数値になります。その広告価値は計り知れません。
橋下代表個人、あるいは彼にすり寄る政治家のゴシップ報道という体裁を取りながらも、「船中八策」等、日本維新の会の主要政策も詳細に報道されています。
幸福実現党を筆頭にほとんど報道されない政党・政治団体から見れば、日本維新の会の橋下代表の報道フィーバーは異常な偏向報道に映ります。
最近では週刊朝日の橋下代表の出自に関する記事の中に被差別部落の特定等、不適切な記述が多数あり、橋下氏は記者会見で批判し、大きく報道されました。
マスコミの大々的な報道を契機とし週刊朝日は、即刻連載中止を決定、子会社ではあるが編集権は別とその関係を否定していた親会社である朝日新聞まで遺憾の意を表明せざるを得ませんでした。
この間、週刊誌の悪意ある報道に対し、橋下代表には十分な弁明の機会が与えられ、しかもゴールデンタイムでも大きく報じられ、全国民が知るところとなり、大マスコミの雄、朝日新聞の敗北という異例の事態となりました。
いまや日本国民の中で、橋下徹氏だけが週刊誌の誹謗中傷記事に対してマスコミを通じて反論・弁明する機会を全面的に与えられている特権者といえましょう。
以前、橋下氏の女性スキャンダル報道に対しても、氏が素直にその事実を認め、若気の至り的程度の扱いで不問に付されました。
これも氏に十分弁明の機会が与えられ、素直に認める照れた表情なども報道され逆に好印象となりました。
なにしろ氏の一挙手一投足がゴールデンタイムに放送され続けているのです。この特権は、次期総理候補の雄である安倍自民党総裁も有していない特権なのです。
例えば、5年前の安倍政権の時、自殺した松岡農水相に果たして弁明の機会が与えられたでしょうか。
あるいは、女性スキャンダル報道で先月自殺した松下金融・郵政民営化担当相などは自ら弁明することすらしませんでした。(現在衆院鹿児島3区補選中)
マスコミ報道の犠牲となり、政治生命いや生命そのものを絶たれた政治家も少なくない中、現在の橋下フィーバーは尋常ならざる隠れた意図があるのではないかと勘繰るのもやむを得ないでしょう。
次期総選挙で日本維新の会を大躍進させるというストーリーが、マスコミ権力の奥の院で画策されていることは容易に想像がつきます。
放送法第四条の二で放送事業者は、放送番組の編集に当たっては「政治的公平」でなければならないと規定されています。
報道における「政治的公平」は、現在の橋下フィーバー及び幸福実現党の立党以来3年間の報道無視を振り返ると事実上日本には存在しないと断言できます。
事実上、政治家の首を取ることも、どの政党に次期政権を取らせるかも、マスコミの報道のさじ加減によって決まります。
日本における第一権力は大マスコミであり、日本はマスコミによる専制政治が行われているのです。
しかも、マスコミ権力は民衆からのチェック&バランスが効かないため、独裁、暴走の危険が強くあります。
メディアの寡占は民主主義の危機をもたらします。まさしく、現在は日本の民主主義の危機です。
実際、アメリカでも同様の危機がありましたが、アメリカは1984年、CATV局設置を自由化し、三大ネットの支配力を低下させました。
そして、衛星放送やCATV、光回線の整備により、多チャンネル化を進めました。更には1987年、放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)を撤廃し、政治意見の表明をさらに自由にしたのです。
その基本政策は放送の自由化・多チャンネル化です。日本は未だにチャンネルは寡占状態であり、多チャンネル化は既得権益者によって阻止されています。
寡占状態の放送事業者が国家をミスリードするような愚かな事態は、民主党への政権交代で終わりにしようではありませんか!
放送の自由化を進め、電波を広く民間に解放し、多チャンネル化を進めることこそが、国民の知る権利を増進し、健全な民主主義社会を守るのです。(文責・加納有輝彦)
[HRPニュースファイル435]橋下徹狂想曲~メディアの寡占状態が民主主義を破壊する
10月 23rd, 2012
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