先週9日のHRPニュースファイルで、大津市のいじめ隠ぺい事件をとりあげました⇒http://goo.gl/KlIav
事件はその後も、各メディアでも大きく取り上げられ、「男子2人が(自殺した生徒に)死んだ蜂やごみなどを無理やり食べさせた」「文化祭や体育大会のとき手をロープで縛られる」といった地獄的ないじめの内容も明らかになって来ました。⇒http://goo.gl/g7m75
「実際にはカエルまで食べさせられていたみたいです。あるとき、親戚の家に遊びに行ったとき、もうすごい下痢をしたみたいで…。きっと変なものを食べさせられたから、お腹を壊したんでしょうね…」といった証言も出ています。⇒http://goo.gl/EcECS
この事件は、アメリカ三大ネットワークの一つ「ABC」のヘッドラインに掲載されるなど、国際的なニュースにもなっています。⇒http://goo.gl/JQNn8
さて、11日、滋賀県警が「強制捜査でないと全て(資料が)出ないと判断した」として、学校と教育委員会に対する家宅捜索を行いました。
教職員の汚職などで学校や教育委員会を捜索した例はあっても、いじめ自殺をめぐって警察が家宅捜査に踏み切ったことは極めて異例です。
警察には事件の真相をしっかりと解明、処罰することを期待しますが、警察の介入は余りにも遅すぎました。もはや取り返しがつきません。
男子生徒の父親は自殺後、大津署に「処罰できる方法はありませんか」と三度も被害届を出しましたが、署は加害者の生徒が14歳未満であることなどから「犯罪事実の認定は困難」と受理していなかったことが明るみになっています。
また、滋賀県警の家宅捜索について、大津市教育委員会の澤村憲次教育長が現場で抗議していたことも明るみになりました。(7/13 FNN「滋賀・いじめ自殺 澤村教育長、警察の強制捜査に現場で抗議」⇒http://goo.gl/S1GyX)
澤村教育長は依然として「自殺との因果関係については、私どもは分からない、判断できない」「いじめがすべてではない。別の要因もあったはずだ」と、自殺の原因をいじめと認めようとしません。(7/12 J-CAST「大津市教育長 まるで他人事!『自殺はいじめ以外にも要因。資料スーと見た程度』」⇒http://goo.gl/dSJKT)
澤村憲次教育長の言動からは、いじめ自殺事件や市教育委員会の隠ぺいに対する反省は全く見られず、ただただ学校と教育委員会、自身の保身しか考えていないことが伝わってきます。
さて、今回注目したいのは14日、問題発覚後、初めて記者会見した校長の発言です。今になっての会見は遅すぎることはもちろん、誠に歯切れの悪い会見でした。
自殺前の昨年9月30日と10月5日の二回、男子生徒へのいじめに関する情報が女子生徒から担任に入り、自殺6日前の10月5日、担任、学年主任、生徒指導担当ら5、6人の教師が協議をしていたことが分かりました。
その結果、「生徒同士のけんかで、いじめはない」と結論付けたといいます。
記者の「いじめがあったと疑わなかったのか」との質問に、校長は「疑っていなかったというより気づいていなかった。認識がなかった」と釈明。あくまでも「けんか」と判断したということで通しました。(7/15 読売「中2自殺、校長『いじめ認識せず』市教委とズレ」⇒http://goo.gl/N8YPU)
この会見で分かることは、学校側の初動のミス、初動判断の誤りです。いじめを指摘する複数の生徒達の報告を見過ごしたこと。そして、再度いじめ情報が寄せられ、教師たちで話しあう場を持ったにもかかわらず、双方の聞き取りだけで終わってしまったこと。
教師ならいじめを強く疑うのは当然のこと、情報が上がった段階で、いじめを指摘し、通報してきた女子生徒にも事情を聞くべきでした。そして加害者を早期に調査していれば迅速な対応ができたはずです。悲劇は防げたかもしれません。
この事件は教育現場における、戦後民主主義の非常に弱い部分の象徴です。正義を引っ込め、「なあなあ」で仲良くさせ、話し合い路線で片付けようとする学校の戦後民主主義がいじめを増幅させていると言えます。
また、もし一教師が責任から逃れたい保身が働いても、教頭や校長が正義感の塊で「絶対に悪は許さない」という気持ちがあれば、学校現場でいじめが黙認されることはありませんでした。
幸福実現党は「いじめ防止法」の制定を公約として掲げていますが、加害児童生徒に対しては、いじめの悪質さに応じて、退学、転校、停学、短期出席停止、厳重指導、注意処分等を行ない、いじめ行為に加担、黙認、参加した教員は厳罰に処す法案を目指しています。
大津いじめ事件の悲劇を繰り返さないためにも、「いじめ防止法」を制定し、「学校の自治」の名のもとに教室を聖域化、密室状態にしておかないこと。そして、前回のニュースファイルでも書きましたが、「道徳教育」「宗教教育」の復活が不可欠です。
善悪の基準とは、つきつめれば仏神の教えに行きつきます。その意味でも、いじめ対策の根本は、仏神の善悪の価値基準、「愛」や同悲同苦の心、「天国・地獄」といった因果応報について教えることは大事です。
戦後、GHQの政策や日教組により、公教育の現場から宗教教育を排除した結果、学校から聖なる部分、尊い部分、威厳のある部分が失われました。
学校が荒れてきたのは戦後、学校から道徳や宗教を追い出した当然の結果と言えるでしょう。
いじめは決して許してはなりません。「正義の支配」を子供の世界で教えなければ、やがて子供たちが大きくなった時、それは犯罪につながっていきます。
失われた「学校の尊厳」を取り戻す時は今をおいて他にありません。(文責・竜の口法子)
[HRPニュースファイル336]学校の治外法権を許すな――今こそ、教育再生を!
7月 16th, 2012
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